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2010年07月 アーカイブ

背広の僧侶

タンブンとは、在家信者がお寺や僧侶に寄進することです。

しかし、いかなる寄導あっても、僧侶は礼をしません。

ただ黙って受け取るだけです。

タンブンは在家信者の務めであり、彼ら自身の救いのためです。

むしろ受け取ってもらえ、未来への希望がひらけたとして、在家信者のほうが感謝しなければなりません。

しかし、段々と社会は変わります。

僧侶の気持ちもそれに応じて変わりました。

いつのまにかお金持ちの僧侶ができ、戒律も形骸化するようになってしまいました。


木もれ日が柔かな森のなかのお寺で、説教の声が響いていました。

黄色の衣があちこちにみえ、一般の人も集っていました。

真ん中でマイクをもっているのは、意外にも背広姿でした。

通常、僧侶の説教はあっても、在家信者が僧に教えるということは考えられないのに、目の前でそれが行われているではないですか。

中身が分かろうはずもないのに、石の上に坐って、耳を傾けました。

説教が終わり、拍手もないままに、皆静かに去っていきました。

近くにいた僧侶に聞いてみました。

「どんな説教だったのですか」

「瞑想のすすめですよ。あの人はアメリカで物理学の博士号をおとりになり、長い間NASA(アメリカ航空宇宙局)に勤務されていました。

タイにお帰りになってから、仏教の再興が必要であり、そのためには1人1人がメディテーションを忘れてはならない、とお考えになり、国中を説教して回られるようになったのです。

物ばかり、お金ばかりを求める風潮を批判され、心の平和が必要だと説かれているのです。

背広の僧侶、そう呼ばれていらっしゃる方です。

最近、あの人の考えを聞きたいとする人が多くの国から来るようになりました。

心の問題を瞑想と仏の手にすがって解決しようとする人が増えたのです。

科学だけですべてを解決するには、あまりにも人間と社会は複雑なのです」。

背広の僧侶 その2

これは南部タイへ行ったときのことでした。

一緒にいた友人は、僧侶たちが去ってから声をひそめました。

「あの人は僧侶以上に尊敬されている。

本来ならば、仏門にある人がしなければならないことを、あの人がしている。

逆に言えばそれほど僧侶が期待にそむいている。

しかも、彼らは、人々の期待にそむいている自分たちを意識していない。悲しいことだけど」。

もちろん、すべての僧侶が戒律を犯しているといっているわけではありません。

しかし、残念ながら仏教の国タイで、仏教のウエイトは低下してきており、一部の僧侶の行動がそうした低下をさらに激しくしています。

社会的変化が戒律の形骸化をもたらし、厳しい修行をつんだことに対する僧侶への尊敬の念が薄れているのです。

背広の僧侶が評価されるのは、サンガに対する痛烈な批判というべきでしょう。

農民と一緒に農業にいそしみながら自己研鐙にはげむ僧侶も増えています。

農民の生活の苦しみを理解しない仏教はない、という考えにもとづき、戒律で禁じられている農耕さえ行う・・・。

こうした「仏教村」が誕生している一方、都会では黄色の衣を悪用して、食物だけでなく金品の喜捨を強要する僧も出はじめました。

都会の発屡、あきらかに戒律仏教を変質させようとしているのです。

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