背広の僧侶 その2
これは南部タイへ行ったときのことでした。
一緒にいた友人は、僧侶たちが去ってから声をひそめました。
「あの人は僧侶以上に尊敬されている。
本来ならば、仏門にある人がしなければならないことを、あの人がしている。
逆に言えばそれほど僧侶が期待にそむいている。
しかも、彼らは、人々の期待にそむいている自分たちを意識していない。悲しいことだけど」。
もちろん、すべての僧侶が戒律を犯しているといっているわけではありません。
しかし、残念ながら仏教の国タイで、仏教のウエイトは低下してきており、一部の僧侶の行動がそうした低下をさらに激しくしています。
社会的変化が戒律の形骸化をもたらし、厳しい修行をつんだことに対する僧侶への尊敬の念が薄れているのです。
背広の僧侶が評価されるのは、サンガに対する痛烈な批判というべきでしょう。
農民と一緒に農業にいそしみながら自己研鐙にはげむ僧侶も増えています。
農民の生活の苦しみを理解しない仏教はない、という考えにもとづき、戒律で禁じられている農耕さえ行う・・・。
こうした「仏教村」が誕生している一方、都会では黄色の衣を悪用して、食物だけでなく金品の喜捨を強要する僧も出はじめました。
都会の発屡、あきらかに戒律仏教を変質させようとしているのです。